工場夜景は何故美しいのか
先日、工場夜景ツアーに行ってまいりました。
今回で2回目のツアーで、経路も同じであったために既視感が強く、1回目ほどの感動はありませんでした。感動には頭を使わなかったため、何故工場夜景を綺麗だと感じるのか、とずっと考えていました。
夜の無機質な工場群に、転々と規則的な照明が灯されているだけの風景。何が綺麗なのかよくわから無いまま、ただ「綺麗」という感想のみが出てきます。
果たして、何が自分の心を動かすのか。
綺麗といっても様々な「綺麗」があります。顔が綺麗、部屋が綺麗、海が綺麗など、様々な意味で使えます。デジタル大辞典を見ると、
- 色・形などが華やかな美しさをもっているさま。「―な花」「―に着飾る」
- 姿・顔かたちが整っていて美しいさま。「―な脚」「―な女性」
- 声などが快く聞こえるさま。「―な発音」
- よごれがなく清潔なさま。「手を―に洗う」「―な空気」「―な選挙」
- 男女間に肉体的な交渉がないさま。清純。「―な関係」
- 乱れたところがないさま。整然としているさま。「机の上を―に片づける」
- (「きれいに」の形で)残りなく物事が行われるさま。すっかり。「―に忘れる」「―にたいらげる」
と書かれています。華やかなのかは疑問ですが、色と形が関係していると思われるので、工場夜景は1の意味でしょう。
さらに掘り下げて、どういった色と形が美しいのか考えます。下の画像をごらんください。
ごちゃごちゃとしたパイプや棒が、転々と灯るライトに照らされています。
こちらの画像もごちゃごちゃとしています。
この二つの画像から僕が導き出した要素は二つ、「複雑さ」と「陰陽」です。
もしも工場が単純な直方体の連続でできていれば、想像を掻き立てず、つまらないでしょう。また、工場がものすごく明るいライトで隅から隅まで、まるで昼のように照らされていれば、それはただの工場で、美しいとは感じないでしょう。
「複雑さ」と「陰陽」による美しさは、人にも当てはまるのかもしれません。単純な論理で生きている人よりも、あれこれと悩みながら生きている人の方が、単に明るいだけの人よりも、明るさも暗さも持っている人の方が、深みがあって美しいと感じられる人なのではないでしょうか。